知財転職記 ②特許事務所時代~根性と神風の弁理士試験~
7年半の企業での技術職を経て特許事務所に転職し約2年勤務することになります。
今回は、その特許事務所時代(以下4.~5.の期間)について書きました。
※前回の企業での技術者時代については、以下リンクの記事に書いていますので、もしよかったらご覧いただければ幸いです。
(知財転職記 ①メーカー技術者時代~地獄と成長の製品開発、知財に転向した理由~)https://blog.suepat.com/development-at-the-manufacturer/
<私の経歴概要>
- 大学院卒業後、新卒で大手の化学/繊維メーカーに開発職(技術者)として入社
- 色々と経験を積む中で自身の生業を知財としたいと考えるようになる
- 知財部への異動希望を出したが叶わず30歳を超える
- 一度きりの人生トライしてみたいとの想いから一念発起して特許事務所に転職
- 特許事務所で知財業務を学びつつ弁理士試験勉強
- 運よく1年程で資格取得できたため念願であった企業知財へ転職、現在に至る(新卒入社の会社とは別会社)
転職活動~前職退職まで
転職活動
勤めていた企業で知財部への異動の可能性が極めて低いことを悟ってからは、覚悟を決めて転職活動をスタートしました。
その当時関西圏に住んでいたこと、有名な特許事務所は大都市圏に集中していることがあり、大阪の特許事務所を探すことにしました。
まずはインターネットで特許事務所のHPや、Open Work等の転職口コミサイトで情報収集をしました。
以下3点をひとまずの選定の基準として、4,5件の候補事務所をピックアップした上で、その情報を事務所HPや説明会への参加等で集めました。
- 自分の技術的な専攻の分野を扱っている事務所であること
- 教育/待遇面を考慮して比較的大きな事務所であること
- (できれば)アクセスの便利な駅周辺に位置していること
とはいいつつも、事務所HPや口コミサイトは、どの事務所も似たようなことを書いている(書かれている)ので、区別がつきません。
(特許事務所の口コミサイトは、どの事務所も少なからず罵詈雑言が書かれており、不安になるだけなので見ない方がいいです)
結局「入ってみないと分からない」という結論に至り、事務所説明会や実際の事務所外観で好感度であった事務所3件に、事務所HPの応募フォームから応募しました。
3つの事務所共に書類選考は合格であり、その後面接(+事務所によってはペーパーテスト有り)を経て、運よく2つの事務所から合格を頂くことができました。
その2つのうち、規模の大きな事務所(大阪で一番大きな事務所)に決め、晴れて特許事務所員として働くことに決まりました。
ちなみに、勤務することになる事務所の面接では、複数のパートナー(事務所の経営陣)に囲われながら、なぜ知財なのか?大学の専攻はどんなもの?等の質問を受けました。
最後に「好きなお酒は何ですか?」という質問があり、反射的に「焼酎です」と答えたのですが、変な質問だったので落ちたかな?と帰り際に思っていました。
後日、その質問をされた方に意図を伺いましたが、「好きなお酒は、一番よく人間が出る部分だから」という返答であり、やはりよく分かりませんでした。(焼酎が好きな人間ってどんな評価なんだろ…)
勤めていた企業からの退職
特許事務所には(面接から)遅くとも4か月後には入所できる旨を伝えていました。
上司に退職の意向を伝えるタイミングですが、あまり早く言い過ぎても気まずくて業務がやりづらくなる期間が長いし、遅すぎても引き継ぎ等の期間が少なくなるので問題です。
悩んだあげく、退職日の2か月半前に報告することに決めるのですが、一番辛いのは転職が決まってから退職の意向を伝えるまでの期間です。
表面上は通常通りやる気を見せながら業務を進める必要があるのですが、本心では知財に心が向いていることや後ろめたさが相まって、毎日吐きそうになりながら従事していました。
意向を伝えてからは、ひたすらに引き継ぎや、お世話になった方々へのお礼回りを済ませました。
この会社では、技術者として貴重かつ稀有な経験をさせて頂き大きな成長を実感していたので、非常に感謝しています。
また、非常に優秀な人が多かったです。(これは特に辞めてから気付きました)
特許事務所時代
事務所での勤務
上述の通り大阪でも最も規模の大きな事務所でしたので、大規模なオフィスで広大なフロアに200人以上が働いており、女性割合が半分以上で(見た目上は)華やかなオフィスでした。
この事務所はJR大阪駅の近くに位置して通勤には便利なのですが、高層ビルの中の高層階にオフィスがあるので、毎日出勤の際に長蛇に並んで、ぎゅうぎゅう詰めのエレベーターに乗らないといけません。満員電車後の満員エレベーターはかなり苦痛でした。
業務内容ですが、最初の3ヶ月ぐらいはひたすら外国出願(英語)を日本語に翻訳していました。
私はそこまで英語が得意ではなかったので、最初のうちは苦労しましたが、英語は日本語に比べて論理構造がはっきりしているので、英語で技術文書を考えることは後の出願業務にとても役に立ちました。
例えば、日本語でクレームをつくるときでも「英語だったらどう書くか」を常に頭に置いて考えると、良いクレームがつくれます。
(おそらく、日本語と英語で使っている脳の箇所が違う??)
その後は、少しずつ実際のお客様との打ち合わせに参加させて頂き、明細書作成や指令応答の業務もやらせて頂けるようになりました。
大きな事務所だったので、種々の業務が分業化されており、明細書作成や指令応答業務に集中でき、論理的思考力や文書作成力、また知財に関するプラクティスや判例等、鍛錬が積める環境でした。
(一方で、常にデスクワークで頭を使っているので逃げ場がないことが多少しんどくはありました。)
弁理士資格取得
知財の世界に身を置く以上、当然1日でも早く弁理士資格は取得したかったので、勤務前後に毎日死ぬほど勉強しました。
しかも転職とほぼ同時期に第一子が生まれたので、子育てと勉強と新しい仕事との両立はかなり地獄でした(が充実してました)。
以下4点をルーチンワークとして、1日平均最低5、6時間の勉強を、事務所入所9月から弁理士の口頭試験が終了する翌年の10月まで毎日続けました。
- 業務開始1時間前に出勤して自身のデスクで勉強
- 業務終わりに家で最低2時間はデスクで勉強
- 移動中に音声講義を常に聞く
- 休日は食事と子育て以外は全て勉強(最低7時間)
上記努力の甲斐もあってか運良く約1年で合格できましたが、 試験終わった時は満身創痍の状態でした。
かなりヘビーな生活ではあったため、体重も15キロぐらいは減りました。
特に業務終わりの勉強はかなりキツく、日中文章をずっと読んだり書いたりするので既に脳が疲れ切っているのですが、お酒を飲みながら勉強することで脳の疲れを麻痺させつつ進めることができました。これは短期合格のメソッドだと思います(確実に寿命が縮むのでマネしないで下さい)。
事務所での業務に慣れ、弁理士資格も取得して、順風満帆のようにもみえますが、私の心の中には澱みがどんどん溜まっていました。
企業内弁理士への転向・葛藤編に続く。。