知財転職記 ①メーカー技術者時代~地獄と成長の製品開発、知財に転向した理由~
私は企業内弁理士として、現在メーカー知財部に勤務していますが、初めから知財関連業務に従事していた訳ではありません。
以下の経歴概要の通り、大学院卒業後にまずはメーカーに技術者として入社し、主に新製品開発やその事業化に従事していました。
そのメーカーには7年半勤めましたが(以下1.~3.の期間)、今回は技術者時代のことや、知財に転向したきっかけ/理由について書いてみました。
※技術者・知財部・特許事務所の関わり方等は以前以下リンクの記事に書きましたので、ご覧いただければ幸いです。
(研究開発・知財部・特許事務所 特許出願業務におけるオーソライズの苦労)https://blog.suepat.com/difficult-matters-in-patent-work/
<私の経歴概要>
- 大学院卒業後、新卒で大手の化学/繊維メーカーに開発職(技術者)として入社
- 色々と経験を積む中で自身の生業を知財としたいと考えるようになる
- 知財部への異動希望を出したが叶わず30歳を超える
- 一度きりの人生トライしてみたいとの想いから一念発起して特許事務所に転職
- 特許事務所で知財業務を学びつつ弁理士試験勉強
- 運よく1年程で資格取得できたため念願であった企業知財へ転職、現在に至る(新卒入社の会社とは別会社)
新卒入社時代
入社~シフト実習
私は大学/大学院で材料力学と高分子化学を専攻していたので、素直にそれを活かせる化学/繊維系メーカーに就職しました。
世はリーマンショック真っ只中だったのですが、研究室の教授パワーと、メーカーが求めている専門とのマッチもあり、運よく採用して頂きました。
初年度は研修や実習が多く、特に工場でのシフト実習が4か月もあり、実際の製造工程を現場の方々に教わりました。
シフト実習では、夜勤がある中で基本的に製造工程を見ているだけなので拷問に近い睡眠欲との闘いであったり、強制的にボロ部屋に同期5人押し込まれて雑魚寝させられてました(カイジの地下帝国みたいな感じです)。
いきなり社会人の厳しさ?を叩き込まれると同時に、生の現場を感じられたことや、ボロ部屋で共に過ごした戦友ができて良い経験でした。
瀕死のOJT
実習終了後に新入社員は各部署に配属されますが、私が配属された部署は主にフィルム新製品を扱う技術部で、そのメーカーの中でも3本の指に入る程の激務といわれている部署でした。
まだ若かったこともあり、成長志向が高くかつ傲慢な面があったので「激務は望むところ」とその当時は考えていました。
(その数か月後には、自分の甘さを思い知らされるのですが…)
私の指導員の方は10年目のバリバリのやり手の方で非常に仕事ができる方だったのですが、「基本的に仕事は背中をみて覚えろ」という感じの方で、かつミスすると雷が落ちるので、最初の2,3年は毎日必死で勉強しつつ瀕死になりながら、何とかしがみ付いていたことを覚えています。
この部署では、特に入社数年の若手は半分以上は製造現場で新製品の条件出しや設計検証、工程安定化に従事します。
この製造現場において、技術部は現場オペレーターの方々に条件等の指示を出さないといけないのですが、指導員の方は基本教えてくれないので、現場がトラブルになった時は本当に泣きそうになりながら右往左往していました。
「OJT=おまえ、じぶんで、トレーニングしろ」とは、よく言ったものです。
ちなみに、製造現場での生産では、研究設備でのそれとは固定費、比例費の桁が違うので、トラブルにあたっては1分1秒でも早く元の状態に戻さないと損害額がとても大きくなります。そのため、原状回復が遅れたり、次の日まで戻せなかったりすると、定時ミーティングで処刑されます。
技術者としての業務
この部署での私の業務は以下の通りで、基礎技術研究→製品開発→量産化(事業化)まで扱う幅広いものでした。
技術者としてモノづくりのビジネス全体を学べたので、非常に貴重な経験をさせて頂いた会社には感謝しています。
- 新規技術の実機適用検討;研究からの新しいフィルムの提案を受けて実機(量産機)での試作を検討する
- 実機試作;設備・原料検討、生産調整、試作での条件出し等を経てサンプル採取する
- サンプルの検証とフィードバック;サンプルの評価・フィードバックにより改善を繰り返して、お客様評価に耐えうる特性まで合わせ込む
- 顧客提案とフィードバック;実際にお客様に試作品を評価してもらって、その結果をフィードバックしつつ仕様に合わせ込む
①新規技術の実機適用検討
まずは、研究部署から新規技術・製品案の実機導入への依頼を受けます。
その新規製品案(パイロット品)を実際に見せてもらいながら、製品の特性、技術メカニズム、市場ニーズ等含めて確認・議論します。
実機試作の実施が決まれば、実機導入のための摺り合わせや各種準備をします。
パイロット品をそのまま実機でスケールアップするだけ、と思うかもしれませんが、実機用の設備設計・導入、量産まで見越した原料購買、その安全性の確認、製品特性と条件等のシミュレーション、実機製造計画の策定等、その内容は多岐に渡り大変です。
②実機試作⇔③サンプルの検証とフィードバック
パイロット品を実機に適用するのですが、最初から狙いの特性の製品が得られるということはまずありません。
(それどころか、まともに製造できないような事態もよくありました。)
まずは、製造の方々と協力しながら、設備~条件等を試行錯誤してサンプルを採取します。
そのサンプルを評価、結果を研究にフィードバックの上、サンプル特性(アウトプット)と、設備や条件等(インプット)との相関関係を明らかにして、より良い特性となるように各種設計改善をします。
この改善された条件等に基づいた実機試作を何度も繰り返して、試作品をお客様に出せるレベルまで合わせ込んでいきます。
この実機試作で最も大変なことは、製品特性の合わせ込みの検討や製造トラブルの際に起こる製造部との衝突です。
なぜ衝突が起こるか、というと
技術部は新しい製品やそのための技術を製造工程に投入しないといけない
一方で、製造部は安定的に工程を維持しないといけない
という、互いの部署の目的が二律背反となっているためです。
特に、製造現場のトラブルについて責任の押し付け合いなどは日常茶飯事でした。
しかも、実機に関する権限は製造部が有しているので、立場の弱い技術部(の特に若手)はスケープゴートとして処刑対象にされがちです。
また試作期間は、基本的に製造現場につきっきりになるので1日15時間労働なんていうのはザラにあります。
(帰っていても会社から電話がかかってきたりもします。)
ちなみに、そういった部署なので精神的に病んでしまう人も少なからずいました。
このような苦労の末、実機でのお客様用試作品を採取します。
④顧客提案とフィードバック
次は、苦労して製造した実機試作品をお客様に提案・評価してもらいます。
お客様にとっても初めての製品なので、技術サポートとして営業に同伴して説明することもよくありました。
お客様からの評価結果を得た後に、改善すべき点を抽出して、また研究や実機にフィードバックしてこれを何度も繰り返します。
本当に行ったり来たりで大変ですが、こうやって苦労してつくった製品が実際にお客様で採用された時は非常に充実感を感じます。
本当に命を燃やした7年半であり、寿命が10年ぐらい縮まったんじゃないかと感じる一方で、技術者としてのスキルは非常に高まったと感じています。
知財転向のきっかけ/理由
①特許の効力の大きさを実際に経験したこと
私が知財を強く意識したきっかけの一つは、事業化手前の製品が競合の特許に抵触する可能性があることにより開発が中止になったことです。
当時から特許の意味や重要性は知っていたのですが、実際そのような状況を経験することでたかが紙切れ(特許公報のこと)がとんでもない効力を持っているんだ、と感心したものです(感心している場合ではなかったのですが)。
②特許出願のやりがいや面白さを感じていたこと
私が技術者時代に出願した特許は30件程度あります(筆頭は10件程度)。
自分が発明者として後世に残る文献を残せることが非常に嬉しかったことを覚えています。
数こそ少ないですが、何件かは権利化されており、報奨金として(スズメの涙程度ですが)毎年いくらかは通帳に振り込まれています。
また、特許出願にあたっては、知財部員と一緒にクレームを考えるのですが、先行文献の内容を回避しつつ、自分の発明を最大限に広げようとするのですがパズルゲームのようで非常に楽しかったです。
③技術と法律とが融合した法律家
上記のような経験に加えて、元々カバチタレ!や弁護士のくずといった法律系の漫画が好きだったこともあり、技術と法律の融合である特許を専門とする弁理士に憧れを持つようになりました。
実際に行動を始めたのが、入社してから5年目ぐらいで、都度上司に知財部への異動希望を申し出てはいたのですが、「自分がやりたいからと言ってやれるわけではない。資格でも取れば話は別だが」と言って取り合ってくれませんでした。
(当然といえば当然ですが、こんな激務で資格勉強する時間なんか絶対ないだろ…、と思っていました)
そうこうしているうちに、幸か不幸か開発リーダーに昇進しました。
それでも懲りずに異動希望を出したところ、「これ以上言っても、お前にとってマイナスにしかならん」といった趣旨のことを言われました。
この会社での知財のキャリア形成はもう無理だと悟ったので、一念発起して特許事務所に転職すべく情報収集を開始しました。
特許事務所勤務時代・弁理士資格取得奮闘編に続く。。